◆◇ メニュー ◇◆
|
|
2024年11月 |
日 |
月 |
火 |
水 |
木 |
金 |
土 |
|
|
|
|
|
1
|
2
|
3
|
4
|
5
|
6
|
7
|
8
|
9
|
10
|
11
|
12
|
13
|
14
|
15
|
16
|
17
|
18
|
19
|
20
|
21
|
22
|
23
|
24
|
25
|
26
|
27
|
28
|
29
|
30
|
|
2024年12月 |
日 |
月 |
火 |
水 |
木 |
金 |
土 |
1
|
2
|
3
|
4
|
5
|
6
|
7
|
8
|
9
|
10
|
11
|
12
|
13
|
14
|
15
|
16
|
17
|
18
|
19
|
20
|
21
|
22
|
23
|
24
|
25
|
26
|
27
|
28
|
29
|
30
|
31
|
|
|
|
|
|
|
|
|
古刹峯寺
|
【峯寺由緒】 |
当山は、真言宗御室派、中峯山峯寺。本尊は大日如来。開創は斉明4年(658)役小角と伝える。当時は、出雲屈指の古刹であり、 また出雲修験の根本道場である。中世、尼子・毛利など領主の尊崇を受け、盛期には全山42坊が整っていたという。しかし、戦国期に たびたび兵災にあい、堂宇古記類を焼失した。永禄年間(1558〜69)快遍が再興し、寛永15年(1638)快弥は、京都醍醐寺に懇請 して大先達に再挙され、西国16ヶ国の修験袈裟頭になった。藩主松平氏の外護を得て、旧観に復し、出雲国内に10有余の末寺を もち、45社の別当を兼ねるにいたった。寛政3年(1791)「出雲国古義真言宗本末帳」(「江戸幕府寺院本末帳集成」)によれば、本寺 は仁和寺、末寺は12ヶ寺、孫末8ヶ寺である。その内、末寺の11ヶ寺は修験寺である。明治維新期の神仏分離により衰退したが、今 でも出雲大峰と尊崇され、春の火祭りには山伏行列があり、紫燈大護摩供養は、法統を伝えている。本堂・庫裡はいずれも江戸末期 の建立重層建築であり、伊我山を背景にした庭園は、松平不昧公の作庭、雲州流の名園である。寺領は31石(「雲陽大数録」)。 出雲観音霊場第九番札所。 (日本名刹大事典記載) |
峰寺パンフレットより |
【主なる行事】 |
|
|
|
|
|
|
|
|
1月2日 初祈祷
2月3日 節分会・厄除祈念
4月15日 花之法要火祭り・護摩供養
6月下旬 大和大峰入峰修行
12月大晦日 除夜の火祭り
|
|
|
|
|
毎月 第1日曜日 午前10時から 月護摩(2月、4月は除く) |
|
|
|
|